C.ペロー 『完訳 ペロー童話集』 新倉朗子・訳 岩波文庫 1982
ペローの童話集。有名なグリム童話よりも成立の古い童話が含まれていることで有名です。「眠れる森の美女」「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」「シンデレラ」どれもこのペローの童話集に含まれている話です。
なかでも「赤ずきんちゃん」が始めに収録された本として有名ですが、現代で読まれているような童話とは異なる内容なので、読むと驚くこともあるでしょう。例えば、赤ずきんはもともとオオカミに食べられて終わる話だった、ということが挙げられます。
さて、今回はそのなかから、古い物語りの特徴を残しているとされる「親指小僧」を取り上げたいと思います。
まずはその物語りを纏めてみましょう。
親指小僧の物語り
大変貧しい樵の夫婦がいました。夫婦には子どもが7人いました。その末っ子が体が弱く、ひと言も口をきかなかったため、夫婦は悲しく思っていました。その子は生まれたときの大きさが親指ほどしかなかったので、「親指小僧」と呼ばれていました。
ある年、大飢饉がやってきました。
樵は子どもが寝静まったあと妻にこう言いました。「子どもたちをもう養っていけない。けれども子どもたちが餓えて亡くなるのをみるのは堪えられない。だから森に連れて行って捨ててくる」と。妻は反対します。この話を親指小僧は聴いていたのです。そして朝早く起きて、河原で白い小石をいっぱいポケットに詰めこんできました。
その日一家は深い森に入っていきます。子どもたちがたきぎの小枝を拾っているうちに、父親と母親は姿を消します。それに気づいた子どもたちは泣き叫びます。しかし、親指小僧は兄たちに小石を道中に落としてきたことを告げ、一緒に家に帰ります。
丁度その頃、家に帰った夫婦のもとに村の殿様から、お金が届けられます。二人はそのお金で肉を買ってお腹いっぱいに食べていました。食べ終わったあと、子どもたちが帰ってきます。子どもたちは、どうやって戻ってきたかを説明します。母親は大喜びです。そして子どもたちも、腹いっぱい食事をしました。
しかし、やがてお金は尽きます。そして、また親は子どもたちを捨てる相談を始めます。親指小僧も密かにその話を聴いていました。しかし、今回は石を拾いに行けないように、鍵が閉められていました。仕方ないので、お昼にと持たされたパンを、ちぎっては道に落としていきました。そして森の奥に着くと、親は子どもを残して姿を消します。子どもたちはパンを辿って戻ろうと思いますが、パンは鳥に食べられていて残っていません。
親指小僧が高い木に登って辺りを見渡すと、遠くに明かりが見えました。子どもたちは明かりの灯った家にたどり着きます。そこには女の人がいました。女の人はいいます。ここは子どもを食べる鬼の家だと。しかし、子どもたちは森でオオカミに食べられてしまうよりもましだ、といって家に入ります。
人食い鬼の妻は夫が留守のうちに、子どもたちを朝まで隠しておこうと思います。しかし、帰ってきた鬼の夫に見つかってしまいます。鬼の妻は機転を利かせて、子どもたちに沢山食事をさせ、太らせてから食べた方が良いのではと言います。その意見をいいな、といって、酒をたくさん飲んで寝てしまいます。
丁度その時、人食い鬼の7人の娘も寝ていました。親指小僧は娘たちが金の冠をかぶっているのを目をつけ、自分たちの頭巾を冠と取り替えます。夜中に目を覚ました人食い鬼は、次の日に食べるための下ごしらえと言って、頭巾を被っている子どもたち、つまり自分の娘たちを誤って殺してしまいます。その隙を見て、親指小僧は兄たちと家を抜け出します。
翌朝、親指小僧たちが逃げたのを知った鬼は、早く走れる七里の長靴をはいておいかけます。しかし、途中で疲れて眠り込んでしまいます。それを見つけた親指小僧は、七里の長靴を盗んではき、そして鬼の家に行き、そこで鬼の妻をだまして、鬼が持っていた宝を持って帰ります。その財産を持って家に帰り、親指小僧は父親たちに喜ばれました。
という話です。
昔話の古い形
今の童話と比べて、このような昔話は残酷な面を持っていたりするのですが、深層心理学では、こころの深い部分を表していることがあるとされます。
この親指小僧であれば、まず、親が子どもを沢山生んだにもかかわらず、森に捨てに行くという話が出てきます。これは当時の社会で行われていたかもしれない、とされるどちらかというと事実に基づいたと考えられる部分です。ただし、そのあとの物語りの展開は、不思議な話が続きます。
まず一番末っ子の親指小僧。今でいう、未熟児として生まれたと言えるかもしれません。だけれども親指小僧は知恵が働く子どもだった。つまり、生まれたときは兄弟の中で最も小さくて、力もなかった末っ子が、最終的に家を救うことになる知恵を持っていたといえます。つまり「この子はまったく役に立たない」と思われていた人が、実は知恵という大きな力を持っていたという話です。
そこで親と子どもを比べてみます。たとえば、親は大きなお金を貰ったら、次の収入を得るために貯めるとか、何かを準備するとか、そういったことには使わず、自分たちで食べきれない量の食事を用意してしまう。つまり、知恵があるとは言い難い。もしかすると、親指小僧に知恵があったとしても、その価値に気づかなかったかもしれないのです。両親にとっては、どうしようもない、と思っている状況の対処法として「子どもを捨てる」しか思いつかなかったのでしょう。
そして、鬼夫婦です。実は鬼夫婦は、親指小僧の両親と比較するとある側面が見えてきます。鬼夫婦の夫は、子どもをくらうぐらい残酷。だけれども、自分たちの娘は家で育てている。親指小僧の父親は、子どもを捨ててしまおうという残酷な面をもっている。つまり、残酷な父親、優しい母親というのがどちらにも当てはまるのです。
子どもたちは、森に入ることで、父親という存在の残酷な側面を知ります。それは自分たちの父親は子どもを捨てようとする。鬼の父親は、子どもを食べようとする。どちらも、子どもたちにとっては命を奪おうとする存在です。父親と戦おうとしても、子どもにとっては力が足りない。すると戦って勝つために知恵の力で対抗する。それが親指小僧の行動なのです。そして親指小僧は、ある意味でどちらの父親にも勝ったのです。
古い物語りから考えること
ペローはこの物語りの教訓をこういいます。子だくさんを嘆くにはあたらない「時にはこのちびの出来損ないこそが家中みんなの幸福を生みだす」(p.256)といいます。
この教訓を現代に置き換えるとこう読めるでしょうか。子育てや経済的な問題で、悩みすぎなくていい。家族の中で一番出来が悪いと思われていた子どもが、家族の幸福を生み出すこともある、と。
さらに私はこころという側面から考えます。
現在の苦しくて悩んでいる状況があったとしても、それを諦める必要はない。知恵で乗り越える可能性はある。知恵が必要なときは、自分が下に見ていたかもしれない人、それは自分の様子を黙って聞いていた人に相談してみてはどうだろうか。良い答えを貰えるかもしれない。
子どもの知恵を大切にしない大人もいます。しかし子どもは案外、大事なことに気づいていて、それが大人にとって幸福をもたらす力になるかもしれないのです。
取るに足らないようにみえることが、案外、大事かもしれない。
こういった知恵を物語りから学びました。


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