イタロ・カルヴィーノ 1963年『マルコヴァルドさんの四季』 関口英子/訳 2009年 岩波書店
町を歩いていて、ふと植え込みに咲く花を見て、自然を感じたことはないでしょうか。わずかな土の上でも春には芽が吹き、夏には蝉が出てきた穴があいており、秋にはキノコが生え、冬には霜が降りる。こういったささやかな季節の移り変わりに気づき、大切にしている人がいる。それを教えてもらったのが、イタロ・カルヴィーノの『マルコヴァルドさんの四季』です。
主人公のマルコヴァルドさんは、都会にある大きな会社で雑用の仕事をしている男性です。奥さんとの間には、6人の子どもがいます。子どももいて、借金も抱えているため、生活は楽ではありません。しかし毎日、いろいろなことを発見したり、思いついて行動したりと、なかなか楽しそうに暮らしています。
この物語は、春夏秋冬それぞれの季節に合わせた物語が一話ずつ書かれています。そして冬が終わると、また次は春の話。そしてそれが5回繰り返されて一冊の本になっています。
そのうちから、ひとつのエピソードを取り出したいと思います。
マルコヴァルドさんは、ある日、通勤途中に街にキノコが生えているのを見つけました。しかし、まだ小さかったので、雨になったら大きくなるだろうと思い、それまで待つことにしました。そして、雨を待った翌日に見に行くと、立派なキノコに育っていました。それを採っていると、別の場所にもキノコが生えているのを知り、そこでもたくさんのキノコを採ったのですが、それを食べてお腹を壊してしまい、病院に行くことになりました。
というような話です。
読んでいる途中で、そんな道端に生えているキノコを食べたら危ないでしょ、と思うのですが、予想どおりの結果になるので、かえって「一体どういう話?」と驚かされます。そういった、今の私たちの感覚からすると少し不思議な展開の話が続くのがこの本の特徴です。
不思議だけれども、どこか自然を感じる
マルコヴァルドさんが暮らしているのは、ちょうど、近代から現代社会へと移り変わる時期にある街です。大きなビルが街のなかに増えてくるなかで、唯一残された古い家の庭に猫が集まっている。その家の土地を買おうと、いろいろな人が高いお金を出すと誘いかけてくる。そのような状況があったりするような街です。
近代と現代の感覚をどちらも持ち合わせていて、都会に住んでいるのに自然を大切にしようとするのがマルコヴァルドさんの姿です。しかし、いわゆる自然いっぱいの田舎に暮らす方でもないので、やや自然に対する行動がちぐはぐになってしまうのが印象的です。
このちぐはぐさは、マルコヴァルドさんの場合は滑稽な行動として描かれていますが、風刺として捉えることもできます。
現代社会に暮らしていると、街の中にキノコが生えていても、まず食べようと思いません。それどころか、まったく心ひかれる対象としては、見ないかもしれません。「危ないから触らない、食べない」。それはもちろん、当然のことです。しかし、そういった「たぶんこうだと分かっている」ことが増えすぎて、本来の「季節の移り変わり」や「天気の変化」を楽しみにする、という感覚まで失われているかもしれない。しかもそのことに気づきにくい。
雨が降った後に湿った土からキノコが出ている喜び。魚がたくさん獲れる場所を探して、川の上流まで登っていく探検をする楽しみ。そういった「とりあえず思いついたけど、結果はどうなるかわからないような遊び心」が、現代は少なくなっているのではないか、と私は読みながら思いました。
しかしキノコを見分けて、食べられるかどうかを判断する経験則も身についていない。このあたりが、現代の人間らしさが表れていると思います。
マルコヴァルドさんは、あまりにも思い付きで行動するので、読みながら「そんなことをしたらダメだろう」と思わず突っ込みたくなります。また、マルコヴァルドさんは悪意が全くないので、それがまた厄介です。素直な部分もある、だからなかなか憎めない。
昔話と現代の話の間を描いたような不思議な話に触れてみたい方は、一度手に取って読んでみてください。


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