モーリス・センダック 1963年 『かいじゅうたちのいるところ』 神宮輝夫 訳 (冨山房 1975年)
アメリカで活躍した絵本作家、モーリス・センダックの代表作『かいじゅうたちのいるところ』。恐ろしい怪獣が描かれた表紙を見たことがある人もいるのではないでしょうか。この絵本、子どもに読ませるとはじめはこわごわと見ているけれども、途中から夢中になって絵にくぎ付けになるという、不思議な力を持っている作品です。
どういう話なのか、まずは振り返ってみましょう。
この物語の主人公、マックスという男の子は、「おおかみのぬいぐるみ」を着ると、家のなかで大暴れしてしまいます。おこったお母さんに「このかいじゅう!」と怒られるのですが、マックスもまったく引かず「おまえをたべちゃうぞ」といいかえします。そして、ゆうごはんぬきで、寝室に放り込まれてしまいます。
すると寝室に木が生えてきて、森に変わり、さらにそこに波が打ち寄せてくる。船も流れついてきたので、マックスは船に乗ります。やがて航海するうち、たどりついたのは「かいじゅうたちのいるところ」。かいじゅうが住む場所です。ここでも強気のマックスは、かいじゅうたちに「しずかにしろ」と怒鳴りつけて、かいじゅうを魔法でしたがえます。マックスはかいじゅうたちのおうさまになり、かいじゅうと一緒に「かいじゅうおどり」をします。
しかしふとさみしくなってきたマックス。おいしいにおいに誘われて、そこを去ることにします。かいじゅうたちは「おれたちはたべちゃいたいほどおまえがすきなんだ。たべてやるからいかないで」と懇願しますが、マックスは断り、帰ることにします。
たどりついた自分の寝室。あたたかいゆうごはんがおいてあった。という話です。
こころのなかにいるかいじゅう
この絵本で描かれている怪獣。なかなかおそろしい姿をしています。目は大きくぎょろりとして、鋭い牙、尖った爪を持ち、大きな口で、今にもこどもを食べてしまいそうな姿です。しかし、子どもである主人公のマックスは、まったく恐れることがありません。それはマックスがかいじゅうの王様だからです。
というのも、マックスは母親にいわれていました「このかいじゅう」。つまり、マックスはかいじゅうなのです。家で大暴れしたのはかいじゅうだから。そして、かいじゅうたちがいるところ、つまり「仲間がいるところ」にマックスは出かけたのです。
そして、最後のシーンでわかるように、これはマックスの「想像の世界」での出来事。部屋の中に木が生えてくるのも、現実から想像の世界へと移り変わる瞬間を表しています。いつの間にか部屋に置いてあったごはんも、「マックスが寝ている間に、そっと母親が置いていてくれたのだろう」と大人の観点からはわかります。
マックスは家でかいじゅうになって大暴れしているときには、さみしさを全く感じなかったでしょう。しかし、大暴れして一息ついたあと、ふと現実に戻る。そのときにさみしさを感じるのです。これはこころの世界という観点から見ても、とても大切なことだと思います。
自分の世界に浸って大暴れ(とまわりの人からは見える)をして「夢中で楽しんだ」あと、ふと、我に返る。そのときに、急に現実が見えてくる。これは子どものこころが遊びのなかで、少し成長して現実をみることが出来るようになったともいえます。そして、この遊びは「親が見守ってくれている家の中」での出来事ということも大切です。
安心できる遊び
マックスは「親がいる安心できるところ」だからこそ、思い切り遊べたのです。
つまり「安心できるところで、思い切り遊んでいろんな想いを表現できたとき」子どものこころは成長するのです。
これは大人にも当てはまるかもしれません。自分の安心できる場所や人とのつながりのなかで、思い切り自分の想像力を働かせて、こころの中で浮かび上がってくるいろいろな出来事やイメージを体験する。そういった体験を通して、こころが大きく成長するのです。そして、そういった体験が「ときには」大人にも必要なのかもしれません。
深層心理学のカウンセラーの立場からみても、とても面白い物語りです。ときには、自分の中にいる「かいじゅう」と一緒に遊んでみてはどうでしょうか。


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