【書評】 自己犠牲だけでは幸せになれない。オスカー・ワイルド『幸福な王子』

書評

ワイルド 著 『幸福な王子 ワイルド童話全集』 西村孝次 訳 新潮文庫 1968年

 

自己犠牲によって、他人を幸せにする。それは犠牲を伴った本人にとって幸せと言えるのだろうか。メンタルヘルスの福祉医療にかかわる仕事をしてきたなかで、このテーマについて深く考えさせられてきました。

そこで有名な童話、『幸福な王子』を取り上げます。

私も昔から好きな話でしたが、大人になって対人援助の仕事をするなかで、内容の理解が大きく変わった物語りのひとつです。

今回、詳細に読んでいくなかで、「このような幸福の捉え方もできるのではないだろうか」ということも気づいたので、纏めたいと思います。

 

自己犠牲の物語り

この物語りは、ある街に立っている「王子様の像」が主人公です。王子様は、どうやら以前は人間の王子様だったようですが、亡くなったあと、たましいだけが残ったまま銅像の「幸福な王子」として生まれ変わったようです。その像は、全体に薄く金箔が張られ、両目にはサファイア、持っている剣の柄にはルビーがはめられています。

そこに越冬をしようと飛んできたツバメがたどり着きます。そのツバメは、葦に惚れてしまって時間を過ごしているうちに、仲間と一緒に南の国に帰るタイミングを逃してしまいました。仲間を追いかける途中で、王子様の像にたどり着いたのです。

像の下にいると、ツバメが上からしずくが落ちてくるのに気づきます。何かと思って上を見ると、王子様の目から涙が垂れていました。王子様は町を見ていると、苦しんでいる人たちが見える。しかし自分には何もできないことに悩み、泣いていたのです。そして王子様はツバメに言います。手伝ってほしいと。

ツバメは早くいかないと、冬が来てしまうことを知っていました。熱心な王子様の頼みごとを聞いていると断れず、手伝うことにしました。

まずは貧しい家で、親が針子の仕事をしている横で、熱でうなされた男の子がいる。その家にルビーを届けてほしい。つぎは、屋根裏部屋で寒さの余り文字を書けなくなっている青年が、戯曲を書けるようにするために片目のサファイアを。そして、マッチを溝へ落として途方に暮れて泣いている女の子にもう一つのサファイアを届けてほしい。

ツバメは3つとも届けます。

そして最後に、目が見えなくなった王子様の代わりに町の上を飛んで、町の様子を聞かせてほしいという頼みごとに応じます。町にはまだ貧しい人がたくさんいました。王子様はツバメに頼み、体を覆っている純金の箔を届けるように頼みます。そしてツバメは役目を果たします。

その仕事を終えたとき、もう冬が訪れ、ツバメは王子様の下で死にました。その瞬間、王子様のなかにあった鉛の心臓も割れました。

翌日です。「もはや美しくない」と、王子様の像を見た町の市長はいい、像は台から引き下ろされました。そこに神様が天使に告げます。この町じゅうでいちばん尊いものを二つ持ってくるようにと。そして天使は王子様の鉛の心臓とツバメを神のところに持っていき、神はこのふたつを天国に迎えることを約束します。

このような物語りです。

 

幸せとはなんだろうか

この物語りを読んで思うのは「はたして王子様とツバメは幸せだったのだろうか」ということです。とくにツバメは、王子様の依頼に応えなければ、南の国に渡り、楽しい日々を過ごしていたのかもしれません。しかし、宝石を届けたりしているうちに、渡るタイミングを失ってしまい命を落としたのです。つまり、始めは望んでその仕事を引き受けたわけではないのです。

王子様はどうでしょうか。自分の身を文字通り削って、貧しい人たちに分け与えた。理由はわかりませんが、それが原因として心臓が割れてしまったようです。つまり自分自身の体を犠牲に人を助けた。

この二人は自分の命を削って、悩む人たちを救った。それは、自己犠牲という崇高な行為として、とても考えさせられる行為です。

しかし、私は対人援助という仕事をしているなかで、ある現実を知っています。

 

自己犠牲だけでは人を救えない。

そして、一度きりの援助だけでは、その人の生活を変えることはできない。

あまりにも残酷なのですが、それが現実だと思います。

これが私が対人援助の仕事をすることによって、この物語りの読み方が、大きく変わった理由です。

 

王子様とツバメは幸せになったかもしれない。では幸せとは何だろうか。

王子様とツバメの幸せとは何でしょうか。

苦しんでいる人を見つけて、たとえひと時であっても、その人たちの悩みを軽くした。

そのことへの安堵でしょう。

ルビーやサファイアというのを現在の取引価格で考えるのではなく、物語り上「とりあえずの苦しみを乗り越えるための資金」という程度で考えられているようです。

そう考えると、病気の子どもを抱える母親も、戯曲を書いている青年も、マッチ売りの少女も、それによって人生が大きく変わるわけではない。その時は楽になったとしても、しばらくすると、また苦しい生活がやってきます。

私が福祉や医療現場の現実といったのは、一次的な支援だけではその場しのぎにしかならず、結局は元の状態に戻ってしまう可能性が高い。つまり継続的な支援をして、状況が安定するのを支えるのが大切だ、ということを知っているからです。

そして、その支援を継続するためには、支援者側も「続けるだけの精神的、体力的、経済的などの余裕がなければならない」からです。支援者側も倒れてしまっては、支援を受けていた人も安定をする前に、共倒れになってしまう。それが現実だからです。

つまり、王子様とツバメの支援というのは、ある意味では美しい話なのですが、こういった自己犠牲の善意は、支援の現場からはあまり勧められる対応ともいえない、といえます。

しかし、一方で幸せとは何かとも考えられます。

王子様のサファイアやルビー、金箔を受け取った人たちはどうでしょうか。たとえひと時であったとしても、その瞬間は「幸せ」を感じたのではないでしょうか。苦しみの多い生活の中に、ひとときでもそういった「幸せな瞬間」が訪れたことは、とても大きな意味があったと思います。

つまり、この物語りに出てくる悩みを抱えている人たちは、「その瞬間に本当に幸せを感じられた」人たちなのです。これは王子様もツバメもそうなのでしょう。そういった体験をもたらせた、ことに二人は幸せを感じたのかと思います。

幸せとは、ほんのひとときに訪れること。
だからこそ、大事なことなのかもしれない。

本当の幸せとは何だろうか。

そういったことを考えさせられる、悲しくとも温かい王子様とツバメの物語りでした。

プロフィール
この記事を書いた人
三輪 幸二朗

Mitoce 新大阪カウンセリング代表
臨床心理士

Mitoce 新大阪カウンセリング
電話番号:06-6829-6856
メールアドレス:office@mitoce.net

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