【書評】怖さだけではない怪談 ラフカディオ・ハーン 『雪女 夏の日の夢』 

未分類

【書評】 ラフカディオ・ハーン 『雪女 夏の日の夢』 脇明子 訳 岩波少年文庫 2003年

 

夏といえば、怪談ということで、今回はラフカディオ・ハーンの作品を集めた本の中から、比較的手に取りやすい、岩波少年文庫版を取り上げたいと思います。

ラフカディオ・ハーンは、ギリシャに生まれ、幼少期をアイルランドで過ごし、その後アメリカで新聞記者として活動した人物です。1890年代から1900年代初頭にかけて日本に滞在し、小泉八雲という名前で帰化しました。当時の日本の姿を記述したほかに、日本の昔話を収集したことでも有名です。近年は彼の人生を元にしたドラマも作られたので、それによって存在を知った方もおられるかもしれません。

彼の収集した物語をまとめた本で有名なのが『怪談』です。そこには、その後、現代まで語り継がれている「雪女」の話も含まれています。なかでも今回取り上げるのが、「耳なし芳一」。これも有名な怪談話です。

 

耳なし芳一の話

耳なし芳一の話の内容は良く知られていますが、私なりにまとめたいと思います。

あるところに芳一という琵琶法師がいました。琵琶法師というのは、目が見えず、琵琶を片手に平曲(『平家物語』に節をつけたもの)を唄い、行脚しながら生計を立てている人です。

その芳一が、ある寺に滞在しているとき、夜中に人が尋ねてきました。芳一は目が見えないのでわからないのですが、音や言葉遣いの様子から、鎧を着たであろう武士であることが伝わってきます。自分たちの主君が唄を聞きたいと所望するので、芳一を迎えに来たということです。芳一はそれを受け、武士に連れられて唄いに行きます。辿り着いた場所で、芳一が「壇ノ浦」を唄うと、そこに集っていた人たちはひどく感動をしているようで、また来てほしいと望みます。しかし、そこに来ていることは黙ってほしいと、いいます。それ以降、夜な夜な武士に連れられるまま、ひそかに通います。

しかしある日、芳一の様子をおかしいと思った寺の住職が、寺の小僧に命じて芳一のあとを付けさせます。その夜、明らかになったのは芳一が平家の墓で、宙に漂う人魂相手に、唄を歌っていたことです。

それを知った住職は、戻ってきた芳一に言います。今夜迎えが来ても決して動かず、答えるなと。そして身を守るためのお経(般若心経)を芳一の全身に書きます。

その夜、武士の幽霊が現れ、芳一を探します。しかし、お経のために幽霊には芳一が見えません。しかし、住職がお経を書き忘れていた耳だけが、その武士には見えていたため、耳を奪い去って帰っていきます。

芳一はそれにより耳を失いました。しかし、琵琶の名手として世に知られた人となりました。

というようなストーリーです。では、この話を少し違う角度から見てみましょう。

 

芳一は優れた琵琶法師?

私も幼い頃にこの物語を知ったとき、あまりに恐ろしい話であると思って、読むのも怖かったです。しかし、大人になって読み返すと、少し見えてくることがあります。芳一は、滅んだ兵士たちを癒していたのだということです。

芳一が琵琶で歌っていたのは、平家がどのように滅んだのかを壮大でドラマチックな表現としてまとめた平曲です。それを滅んだ側の当事者たちに聞かせたのです。それを聞いた平家の人たちは、深くこころを動かされたでしょう。だからこそ、何度も芳一に唄うように求めたのです。

この辺りの流れは、深層心理学的に考えるとこういえるかもしれません。

芳一は唄を続けているうちに、実際の平家の人々にも届くぐらいの深い表現ができるようになっていた。それはある意味では、あの世に行って、そしてあの世で平家の人々に唄を聴かせ、そして現世である寺に戻ってくる。つまりあの世とこの世の行き来をしていた。しかし、あの世との距離が近くなりすぎることで、芳一はあの世から戻ってこられなくなる可能性が出てきた。

そこでお寺の住職が芳一をこの世に留まらせようとお経を芳一の体に書いた。それによって芳一は現世に留まることが出来た。しかし、そのためには代償となる何かが必要であった。それが耳であった。

耳は芳一にとっては、相手がどのような人物かを察知するための大切な器官である。それを武士が奪っていくということは、武士たちとはもうコンタクトが取れなくなるということも示す、訣別の証でもある。しかし、現世に残った芳一は、平家のたましいさえも動かすことが出来る、深い表現を身に着けているのである。このあの世とこの世の行き来を経て、芳一はたぐいまれなる琵琶法師になったとも考えられるのです。

あの世とこの世というのは、あくまでこころの中で起こることだと、心理学的には考えます。言い換えると、意識の世界と無意識の世界です。意識的な世界から深層の無意識的な世界と行き来する中で、深い体験をしたり、表現に厚みが出たりするようになる。こういったことは、現在でも行われます。

しかし一方で、芳一が耳を失ってしまったように、注意をしなければ大きな怪我をすることにもなります。こころの傷を負ったり、周囲との対人関係がぎくしゃくしてしまったりなど、いろいろなマイナスの事も出てきます。それぐらい意識と無意識の世界を行き来するのは大変です。

人間の成長についてもそのような側面があります。自分にとってはいつの間にか進んでいた道も、他人から見るとすごく大変な状況である。それは、仕事であったり、家庭生活だったり、場合によってはカウンセリングさえも「そんな大変なことワザワザしなくても」と言われることもあります。しかし、そのプロセスを進まないと得られない何かがあるから、進むのです。芳一は自分の唄を本当に理解し、こころを動かしてくれる人がいたから、夜な夜な出かけて行ったのではないでしょうか。ただしもちろん、それが何かを破壊する大変な事態にならないように注意する必要があります。

自分が変わりたいと思ったとき、それは大変な道を進むことになるのですが、それによって得られることも多かったりします。物語がこう教えてくれるように、変化にはリスクも伴いますが、それでも進むことでしか得られないものがあります。小泉八雲の生涯や耳なし芳一の話を聞いていると、その辺りを深く考えさせられます。もし、自分も自分を変える道に進むことを考えたい、と思われる方がおられたら、ご相談ください。深層心理学のカウンセリングを通じて、その道を共に進むお手伝いを致します。

プロフィール
この記事を書いた人
三輪 幸二朗

Mitoce 新大阪カウンセリング代表
臨床心理士

Mitoce 新大阪カウンセリング
電話番号:06-6829-6856
メールアドレス:office@mitoce.net

三輪 幸二朗をフォローする
未分類
シェアする

コメント

タイトルとURLをコピーしました