アルフ=プリョイセン/著 1965年 『小さなスプーンおばさん』 大塚勇三/訳 (学研プラス 1966年)
「スプーンおばさん」といえば、日本では1980年代前半に放映されたアニメを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。背中にティースプーンを背負った、お団子頭のかわいらしいおばあさん。今回は、そのアニメの原作である『小さなスプーンおばさん』を取り上げます。
物語の主人公・スプーンおばさんは、おじいさんと二人でつつましく暮らしています。ある日、家事をしようと思った途端、体がティースプーンほどの大きさになってしまいました。途方に暮れるおばさんですが、ねずみや猫、犬などの助けを借りながらなんとか一日の家事をやり遂げ、無事に体が元の大きさに戻る。これが第一話の大筋です。
なぜ体が小さくなるのか、その理由は最後まで明かされません。ただ「何かをしようとしたとき」に限って、突然小さくなってしまう。そのたびに誰かの手を借りなければならない状況になるのです。
それでもおばさんはいつも前向きです。うまくいかなくなっても落ち込まず「どうしようかしら」と知恵をめぐらせながら、一つひとつ解決策を見つけていきます。読んでいると、体が小さくなるたびにドキドキしながらも、「今度はどうやって乗り越えるのだろう」という楽しみが自然と生まれてきます。
おばさんは魔法使い?
読み進めると、おばさんが単なる「ふつうの専業主婦」ではないことに気づきます。小さくなったおばさんは動物と言葉を交わし、南風や太陽に文句を言って天候に働きかけ、つぼやフライパンに話しかけて料理を仕上げてしまうのです。
しかしこれを「魔法」と呼ぶ場面は一切ありません。おばさん自身も、まるで当たり前のことのように振る舞っています。
では、おばさんの本当の魔法とは何でしょうか。それは「小さくなることで、だれかとこころを通わせるようになること」だと思います。大きなままでは気づけなかった声に耳を傾けて動物や自然、道具ともこころを通わせていく。小さくなることが、むしろ豊かなつながりを生んでいます。
そしてその魔法は動物だけでなく、一人の女の子にも静かに届いていきます。
おばさんの家を訪ねた女の子
物語には印象的なもう一人の登場人物が現れます。おばさんの家を訪ねてくる、痩せて青白い女の子です。クリスマス前だというのに両親は外に働きに出ており、家には誰もいない。その子はふらりとおばさんの家を尋ねてきます。
現代の言葉で言えばネグレクト(養育放棄)を経験しているような子どもの姿と重なります。愛情や温もりに飢えていて、安心できると感じた相手のもとへ引き寄せられていく。そういう子どもたちは、目の前の大人が信頼できるかどうかを敏感に感じとります。その子がおばさんの家に来たということは、おばさんがその直感にかなった存在だったということでしょう。
おばさんは動物にも見知らぬ子どもにも、分け隔てなく接します。そのこころが、孤独な女の子にも届いたのかもしれません。
大事な場面ほど、力が出なくなる
おばさんの体が小さくなるのは、いつも「大切なことをしようとしたとき」です。これはこころの側面から見るととても興味深い深いことです。
たとえば経験はあの女の子にも当てはまるかもしれません。自信がなくて、ひとりでやっていけるか不安。大事な場面ほど失敗してしまう。自信を持てない人ほど、こういう経験をしやすいものです。「がんばらなければ」と思うときほどこころが固まって、力が出なくなってしまう。なぜか上手くいかないことが起きてしまう。
しかし、おばさんはどうでしょうか。体が小さくなって、自分一人では何もできなくなる。それでもおばさんはまわりに助けを求め、知恵をめぐらせ、なんとか乗り越えていきます。うまくできなくても方法を探せばなんとかなる。物語りはそれを繰り返し描いています。
おばさんの姿を間近で見ていると、女の子のこころにも何かが宿るでしょう。おばさんとの交流を重ねるうちに、女の子のこころのなかに、おばさんが生きるようになるともいえます。困ったとき、不安なとき「おばさんならどうするかしら」と思える、内なる声としてです。
こころの中のスプーンおばさん
小さくなってしまったからこそ、聞こえてくる声がある。それは動物のささやきかもしれないし、自分のこころの奥から聞こえてくる、小さな前向きな声かもしれない。
この物語を読み終えたとき、こう思えないでしょうか。
もしかしたら私のこころの中にも、小さなスプーンおばさんがいるのかもしれない、と。


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