ピョートル・エルショーフ(1834)『イワンとふしぎなこうま』(浦雅春訳、岩波書店、2016年)
だれも耳を傾けないような言葉に、真実が含まれていることがあります。それに気づくまでに、人は失敗を繰り返します。『イワンとふしぎなこうま』を読んでいると、そう思います。
これはロシアの作家、ピョートル・エルショーフが書いた物語です。韻文(詩の形式)で書かれたこの物語は、いわゆる昔話の形式を引き継いでいます。主人公が出会ったふしぎなこうまの助言に従って、いろいろな困難を乗り越えていくうちに、最後にはおひめさまと結ばれる。ある意味では分かりやすいストーリーです。
そのなかでも印象的な箇所があります。
旅をしている途中で、イワンは光り輝く「火の鳥の羽」を見つけます。それについてこうまは警告します。
「そのはねは そいつは ふこうのもとだから わざわい しょいこむことになる」(p.51)
警告を無視して、羽を手に入れたイワン。それが後ほど、イワンにわざわいをもたらすようになるのです。
羽は直接、イワンにわざわいをもたらすのではありません。いわゆる、お守りの逆の効果みたいなもので、持ち始めたことをきっかけに、イワンがいろいろな大変な目に遭うようになるのです。
王様に無理難題を押し付けられたり、人に騙されたりなど、様々な出来事に出会います。そのたびに、イワンはこうまに助けを求めます。するとこうまは、イワンに知恵を授けます。それによって、困難を乗り越えることができるのです。
そして困難の最中に、おひめさまと出会い、最後はイワンがある試練を乗り越えて変化することで、おひめさまと結ばれるのです。つまり、わざわいをもたらしたけれども、それ以上に得るものもあった、ということになります。
わかりにくい象徴的な表現
物語に現れる「よくわからないもの」には、深層心理学的に考えると、意味深い内容が含まれていることが多くあります。
たとえばイワンもこうまも、三人兄弟の末っ子です。こういった物語において、三番目の末っ子というのは、もっとも能力が無くて、まわりからダメな人と見られているという設定がよくあります。イワンもほかの兄弟と比べて能力が低いとされ、こうまも、上の兄弟は輝くような素晴らしい馬なのに、自分はみすぼらしい馬なのです。
世間的には「ダメなもの」と見られていても、実はもっとも素晴らしい能力を備えていることがあります。物語ではイワンは軽薄で向こう見ずなところがあるけれども、それは素直に物事に取り組むという素質ともつながります。こうまも、馬としては劣っていても、知恵にとても優れているのです。
これは、こころの世界から見ても、当てはまることだと思います。
周囲の人からはダメな人間と思われている。もしくは社会的には評価されていない。そのような人であっても、実は物事を深く理解していたり、ほかの人が気づいていない何かを知っていたりする。そういうことがしばしばあります。
そういった本当の力をまわりの人たちがわかるのは「自分たちが上手くいっていないことに気づいたとき」、つまり自分の限界を知ったときです。そのときにようやく、「あの言葉は真実だったのだ」と思い知ることがあるのです。
カウンセリングをしていると、そのような場面に多く出会います。というのは、カウンセリングに来た人たちは、イワンやこうまの立場の方たちです。自分たちは、何かを知ってしまった、気づいてしまった。それでも、まわりの考えとは馴染めない。自分なりにわかった真実をどうしたらよいのかが見えないで悩んでいます。
カウンセラーである私はこうまほどの知恵はもちろん持っていませんが、困っているイワンの悩みをこうまが聞いたように、クライエントの悩みに耳を傾けます。そうすると、自然とクライエントは困難の解決法を見つけます。つまりイワンであり、こうまでもあるのがクライエントなのです。
よくクライエントの方がおっしゃいます。「こんなどうでもいいようなことを話していいのでしょうか」。それに対して私は「大切な話です」と伝えます。
ほんの些細に見えるような出来事の中にも、真実が含まれていることがあるからです。それは一見、現実の大変さにさらに直面することになる火の鳥の羽かもしれまんが、その体験を通して自分の中にある宝物と出会うきっかけにもなるでしょう。


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