カウンセリングを受けたことがない方から、このような質問をされることがあります。
「わざわざカウンセリングを受けなくても、友だちや家族に聞いてもらうから別にいい。そんなカウンセリングにお金を払ってまで話を聞いてもらうなんて、もったいない。困っているのだったら、まわりの人に聞いてもらったらいいのでは?」
私のようなカウンセラーに直接、このような質問をする人は少ないのですが、内心このように思っている方は、かなりおられるのではないでしょうか。
とくに悩みを抱えている本人ではなく、悩みを抱えている人のまわりにいる人たちが思うようです。
というのも、カウンセリングに行って話を聞いてもらいたいと本人が言っても、
「話を聞くなんて、だれでもできるでしょう」
「私たちはこれまで話を聞いてきた。他人に何がわかるのか」
そのような思いが出てくるようです。
しかし本当に話を聞くことはだれでもできるのでしょうか。
たしかに、ただ話を聞くことなら、だれでも出来るかもしれません。相手が話した内容の表面的な理解をするのであれば。しかし「話した内容を理解する」というのは深く考えてみると、とても難しいことがわかってきます。
体調不良を訴える人の話を聴くエピソード
たとえば、会社で働いている娘が「仕事に行くのがしんどいので休みたい」といったとします。
それを受けた母親は「体調悪いの?どうしたの?」とたずねます。
娘は「一応、お医者さんに行ったけど、風邪とかではないみたい」といいます。
最近は、メンタルヘルスに関する情報が一般にも知られているので、母親の頭にはメンタルの問題かもという発想が浮かびます。
母親が「それって気持ち的に?」
「そうかも」と娘が言うと、母親はどう対処したらよいのか悩みます。
困った事態が起こったとき、多くの人は自分がそれまでにとったことのある対処法で応じようとします。
母親は「会社をしばらく休んだらどう? 無理しないで。がんばりすぎだと思っていたし、ちょっとゆっくりすごして、気晴らししたら気分も変わると思うよ」と言います。
娘は「ありがとう」といってその後、しばらく休職することになります。
休職をしてから、ひと月ほど経ったときです。
娘が「私は世の中でいらない人間かもしれない」と言い始めます。母親は「そんなことないよ」というのですが、娘は聞き入れずに「やっぱり私は価値がない」と繰り返します。
母親は娘の話を聞くのですが結局は同じ結論になり「私はダメな人間」といいます。そのうち母親もどうしてよいかわからず、困り果ててしまいます。
そのようなときに娘が「カウンセリング受けてもいい?」といいます。
母親は「これまでずっと私が話を聞いてきたのに」という思いと、「カウンセリングを受けたところでどうなる?こんなにずっと話を聞いたけど、大して変わってこなかった」という思いも出ます。
「お父さんに話してみたら?」など家族や親せきの名前を挙げて、別の人に話を聞いてもらったら変わるかもしれないと期待します。わざわざお金を払ってカウンセリングを受けるのはもったいないと。
しかし娘は言います。「カウンセラーの先生、探してみた。良さそうなところなでとりあえず予約してみた」と。
このような流れでカウンセリングに繋がることがあります。
そして娘さんと話をしていると「家族に話したけれども、あまり理解されなくて」ということがあります。
母親や家族としては、それまで一所懸命に話を聞いてきたので、「どうしてそんなことをいうんだ」という憤りや悲しみも出てきます。
しかし厳しいことをいうようですが、本人はそう感じていたのです。
つまり本人の気持ちと、他人が想定していた「本人の気持ち」との間には、大きな隔たりがある。
それぐらい話をしっかりと聴くのは難しいのです。
カウンセラーが話を聴くとはどういうことか
ではカウンセラーはどのように話を聞くのでしょうか。
先ほどのエピソードで言うと「仕事に行くのがしんどい」と訴えがあり、しかも身体にはとくに問題がないとしたら、カウンセラーも「メンタルの問題かもしれない」と思います。
もし話を聞くのであれば、母親と同じく「どうしたのでしょうか?」と事情を確認するでしょう。そのときにカウンセリングでは「休んだらいい」などのアドバイスや意見はとりあえずは脇に置きます。
話を聴いていると「会社の仕事が忙しかった」「上司には相談がしにくかった」というエピソードが出てきたりします。
そこまで話を聞いたら「ちょっと休んだら?」「別の上司に相談したら?」とアドバイスをする人もいるかもしれません。
しかしカウンセラーであれば、さらに話を聴こうとすると思います。「忙しかったってどの程度なのか」「上司はどんな人なのか?どのように相談していたのか?」。もちろん本人の様子をうかがいながら、負担をかけすぎないように慎重に聴きます。
こちらがしっかりと聴いていると本人もいろいろと話し始めます。
「自分がやりたいと思って、頑張って引き受けた仕事だけど、予想以上に大変だった」
「上司はアドバイスはしてくれるけれども、自分でいろいろと考えなければならなない」などです。
そういった話を聞きながらカウンセラーは「どうして本人はそこまで頑張ろうと思ったのか。自分がしんどくなるまで引き受けたのか。なにか、こころの動きがあったのか」と考えます。
そして、こころの動きについていくつかの仮説を立てて、その仮説に基づいてさらに「もともと、仕事にはどんな思いがあった?」など質問をします。そうすることで話が引き出され、理解が深まっていきます。
話を深めて聴いていく
このように、ゆっくりと相手に合わせながら話を深めて聴くのは、とても難しいのです。話している本人にとっても、かなり負担になることもあります。しかしながら、そうやって話を深めて聞いていくうちに「私はだれかに認めてもらいたいと思っていた」など、本音が出てきたりします。
その本音に込められた、さまざまな思いや願いをカウンセラーが汲み取れたとき、クライエントは「話を聴いてもらえた」と感じるのです。
これは本人との直接的な利害関係がない第三者であるカウンセラーだからできるのです。
友だちや知り合いだと「こんなこと話して大丈夫かな」「相手にどう思われるだろう」「話してしまったら、あとで何か言われるかもしれない」と思うのでなかなか本音を語れません。赤の他人であるカウンセラーだから話せるのです。
またカウンセラーは話を聴くときに「どのように話を聴いていくか」を考えています。話を深める準備をしながら聴いているので、途中でクライエントの想いを止めたり、考えていることを止めさせたりは、可能な限り避けます。そうやってクライエントの「話したいと思っていること」を大切にするので、クライエントの本音を引き出すことができるのです。
つまりカウンセラーには「話をしっかりと聴いて思いを引き出せる専門力」があるのです。
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