高齢になってくると認知症といわれるほどの状態ではなくても、老化の現象として新しいことを憶えるのが苦手になります。思考の柔軟性が減って、新しい話題についていくのも難しくなります。
そのような状態になると、気になることが出てくるとそのことが気になって何度も考えてしまいます。また考えを別の内容に切り替えることも苦手です。
本人としては不安で気になって仕方ない、けれども解決法が思いつかず、気がかりなことがいつまでも頭に残っている、という状態になります。
それが場合によっては、家族に同じことを話し続けるという状態につながります。認知症が進むと、この「同じことを繰り返し話す」状態がさらにみられるようになることもあります。
家族は、高齢の親に毎回同じ話を繰り返され、こちらから返事をしても話は止まらずに同じ話を続けたりします。そのため家族は相手にイライラしたり、腹が立つこともあるでしょう。
繰り返される話を家族が聞き続けるのは難しいかもしれません。否定的な感情も出やすいのです。
繰り返される内容の話を無理に聴こうとしてイライラするよりも、話を途中で切り替えるか、話半分で聞き流すのが現実的な対応になると思います。聴かなければならないと思って、家族が無理をするほうが、長期的に見てもあまり良くないのではと思います。
こころに余裕があるときには聞いたら良いと思います。場合によっては専門家に任せるという方法も選択肢として考えておくのも良いかもしれません。
同じ話を繰り返すことの背景にあるこころ
同じ話を繰り返すことについて、カウンセラーとしてはどう考えるのかについて説明します。
繰り返す話というのは、話している当人にとって「こころにに何か引っかかっていることがある」とみます。いいかえると、その人にとって大事な話だから繰り返されるのではと考えます。それが過去の出来事についての話であってもです。ほかに「ご飯はまだ?」という些細な話であっても、その人にとって重要な意味があるのと推察します。
過去の話であると、その人が残りの人生のなかで、どうにか解決しなければならない思い残しがあるのかもしれません。「ご飯はまだ?」というのは、自分がご飯を食べるのを忘れたという認知症の症状とみるだけではなく、その人にとってはご飯にかんする思い入れがあるのかもしれません。「みんなで食べるのが好きだった。けれども今はそれができなくて寂しい」「自分はご飯を作ることが大事な家事だったけれども、今は家事もできなく暇で、自信を無くした」などの気持ちがあるかもしれません。
こういった思いが明らかになってくるため、カウンセラーとしては同じ話が繰り返されても、「その裏にどのような思いが込められているのか」を聴こうとします。
話をするときにどのような表情かと確かめたり、どうしてその内容の話を繰り返すのか、家族や周りの人から情報を集めたりします。そういうことを続けるなかで、繰り返す話の内容にどのような気持ちが込められているのかを考えていきます。
不思議なことですが、そのように「込められた思い」に触れながら話を聞いていると、同じ内容の話にもかかわらず、細かい部分で変わることがあります。「ご飯はいつ?」としか言わなかったのが、「今日は誰がご飯作るの?」※などです。こういった些細な変化にこころの変化が見えるのです。こころの状態が変わってくると、以前よりも意欲が出たり感情も豊かになることがあります。
このように込められた思いを察知しながら、繰り返される話に耳に傾けられるのは、赤の他人である専門家だからだと思います。家族が気分を落ち着かせて聴くのは難しいかもしれませんが、「話の背景にあるこころを知る」ことが対応の参考になるかと思います。
高齢の親の介護をしなければならないとき、家族だけで面倒をみようとしないことが大切です。サポートしてくれる人を増やすことが大切だと思います。
※「今日は誰がご飯を作るの?」という発言には、「家族と暮らしている」「家族にそれぞれ役割がある」「家族のことを気にしている」などの思いが込められています。それは「食事をとったかどうか」だけではない思いが言葉に込められていることがわかります。
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