『ふくろ小路一番地』 訳 石井桃子 1957 岩波少年文庫
発達障がい。あまりにも流行しているこの言葉。私は発達障がいという言葉を使うときには、かなり慎重になります。それにはいろいろな理由があるのですが、そのひとつに「発達障がい」ということによって、何か「その人のこと全部」を説明できたような錯覚に陥ってしまうからです。たとえ「発達障がい」のような部分があったとしても、それでその人全部を説明したことになりません。発達障がいの部分があったとしても、その人には「個性」というその人らしさがあるからです。
初めてこの話を読んだ人のなかに、こう思う人もいるかもしれません。「これは発達障がいの子どもたちの話」だと。しかし、それはこの物語りをほとんど理解できていないかもしれません。この物語りに登場するのは、たしかにいろいろと不器用なところがある。だけれども、それぞれが一所懸命に毎日を送っている子どもたちの姿です。その姿には、個性があふれているのです。
物語りは、ある下町に住むラングルス家の夫婦から始まります。夫は町のゴミ回収をしている父親のジョー、妻はクリーニング店を営む母親のロージーです。二人には子どもがいました。ちょっとぽっちゃりした長女リリー・ローズ。そして次女で細身、頭が賢いケート。その次には双子の男の子のジェームスとジョン。さらに2歳下に、父親の名前をもらったジョー。さらにその2年後に生まれた女の子ペギー、そして最後に生まれた男の子がウィリアムです。つまり7人の子どもがいる家なのです。
それだけ子どもがいるので、当然いろいろなことが起きてきます。母親の手伝いをこっそりしようとしたリリー・ローズが、お客さんの大事なペチコートをアイロンで縮ませてしまったり、ケートが奨学金をもらって制服の帽子を手に入れたのだけれど、それを海でなくしてしまったり。双子の男の子が地元のギャング集団に入ってしまったり。また親の方も、ゴミ回収をしていたら、大金を拾ってしまったりと、いろんなことが起きてきます。
そういった大変なことが起きてきたときに、最後に出てくるのはお母さんです。子どもたちは、お母さんに怒られてしまうのでは、とすごく恐れているのですが、どんなことがあっても、結局は何とか事件が治まって怒られずにすむ。そんな話なのです。
もちろん、ウィリアムの世話を頼まれながらも、さぼったりするとものすごくお母さんに怒られます。でも基本的には、子どもたちに愛情を注いでいる。そして仕事も真面目で熱心で、お客さんにも信頼されているのが、お母さんのロージーです。
子どもを育てるとは?
ラングルス家は決して経済的に豊かとはいえません。子どもも多いので、経済的には厳しいのでしょう。しかし、ロージーの性格にはどこか豊かさを感じさせます。リリーローズが失敗したときも、怒りはしたのですが「一緒にあやまりに行こう」とお客のところにいきます。ケートが帽子を無くしたときも、別の持っている帽子を持ってそれにリボンをつけて被るように言います。つまり、子どもたちに厳しいけれども、なんとか工夫をしながら生きていったら、大丈夫なんだよ、ということを子どもたちに教えているのです。
こういったお母さんのもとで育ったからでしょうか。不思議と、子どもたちには大変なことが起こるのだけれども、いろいろな良い人との出会いがあって、結局はなんとかなるのです。
何とかなる安心感
子どもたちは失敗のたびに泣いたり、大きく落ち込んだりします。しかし、それでも結局は何とかなる。これはとても大事なことだと思います。
親の愛情を受け、しっかりと守られながら暮らしてきた。この「守る」というのは、何もかも失敗しないように守ることではなくて、何か失敗したときでも、フォローをするということです。こういった体験をしながら育った子どもは、大人になってからも「苦しいことがあっても、何とかなるかもしれない」という根っこの部分に自信を持つことが出来るのです。
そしてそういう「何とかなるかもしれない」という自信が育つことで、結局その人らしい個性、その人らしい人生を送ることが出来るのです。そう考えてたときに、人を育てるというのは何かと思うと、子どもの自信を育てることといえるかもしれません。
子どもを育てる愛情の大切さ。物語りを読みながら感じました。


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