宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』。幻想的な雰囲気をまとった物語りであり、とりわけ星空を駆ける汽車というイメージは、後世、多くの作品のモチーフにもなっています。
物語の主人公はジョバンニという少年です。ジョバンニは孤独な境遇にいます。学校でいじめられ、母親は病床にあり、家計を助けるために働き、父親は漁に出かけたまま帰らないという、貧困のなか先行きもみえません。そんななか、母の病気のために配達されていなかった牛乳をもらいに行くものの、手違いでもらえず、「待っているように」と言われます。失意のなかで、丘に上って空を見上げます。するといつのまにか彼は銀河鉄道に乗っていたのでした。
銀河鉄道は天の川に沿って走る列車です。車両には親友のカムパネルラもいました。ふたりは銀河鉄道の道中で、不思議な体験を重ねていきます。
物語が進むにつれてこの銀河鉄道が「死者をあの世へと運ぶ列車」であることが明らかになります。登場する人々は、この世からあの世へと移動する途中にあるのです。そのなかには、有名なタイタニック号の沈没事件を思わせる、氷山に衝突した船の乗客など、さまざまな背景をもつ人々が登場します。
本書が書かれた時代は現在よりもはるかに「死」が身近な時代でした。宮沢賢治自身も、最愛の妹を若くして亡くし、また彼自身も30代後半の若さでこの世を去っています。彼は「何のために生きるのか」という問いは、切実な問題になっていたのでしょう。
たとえば、車内で出会う「鳥捕り」の男。捕らえた鳥を人々に分け与えて生活しているのですが、なぜかその鳥はお菓子でできているようです。鳥を捕る仕事は命をいただく仕事です。ここでは鳥はお菓子でできています。もしかすると、死んだ子どもを供養するためにお菓子の鳥を提供し続けているのかもしれません。そうだとしても、亡くなった子どもたちが戻ってくるわけではありません。この仕事にはそういった無常に対する悲哀の感覚が色濃く表れています。
カムパネルラはこう言います。「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」。
このあたりのエピソードには、自己犠牲のテーマがあります。かつてほかの生き物を殺してきたサソリが、死の直前に自分の人生を悔い、みんなの幸せのために赤く燃える星となったという話です。この話についてジョバンニは「僕はもうあのサソリのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば、僕の体なんか百ぺん灼かれてもかまわない」といい、カムパネルラもこれに同意します。
過酷な現実を生きるジョバンニにとって、儚い人生のなかで「何のために生きるべきか」と自分の存在意義を見出すことは容易ではありません。未来が見えず、同時に深い孤独を感じています。そのなかようやくたどり着いたひとつの答えが「ほんとうにいいことをする」なのです。
苦しみに満ちた日常のなかで、儚い自分のいのちを何のために生きるのか。そういった切迫した問いかけが込められた願いと祈りの物語りと言えるでしょう。


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