【書評】危険と成長の隣りあわせ『トム・ソーヤーの冒険』。

書評

マーク・トウェイン 『トム・ソーヤーの冒険』1876
(柴田元幸・訳 新潮文庫 2012)

私も子どもの頃はトムの冒険に憧れた一人です。

工業化が進む前の素朴な田舎町を舞台に、主人公のトムが自由に遊び回りながら、少しずつ成長していく物語です。

トムの正確な年齢は明かされていませんが、その行動や思考からは10代の入り口あたりだと推測できます。友だちと「海賊ごっこ」に興じたり、迷信を信じていたり、男の子同士の遊びに熱中したりする姿から推測できます。

しかし、その遊びは現代の感覚で見るとかなり危なっかしいものです。いくら自由奔放とはいえ、「本当に大丈夫だろうか」と心配になるレベルです。

学校をサボるのは日常茶飯事。夜中に家を抜け出して墓場で肝試しをしたり、友人たちと川を下ってキャンプ生活を送ったりします。挙句の果てには、墓場では偶然にも殺人現場を目撃してしまったり、キャンプ中に行方不明になったトムたちの葬儀が大人たちによって執り行われてしまいます。

訳者のあとがきでも触れられていますが、トムたちは常に「死」のすぐ傍らで遊んでいます。こうした「ギリギリの危険な遊び」の中で、子どもの心は大きく成長していくのです。もちろん、現代の子どもがそのまま真似をすれば、命を落としかねない場面も多々あります。それでも彼らが最後の一線を越えずに済んだのには、ある「仕組み」があったからだと私は考えます。

 

150年前のアメリカで育つということ

トムが育ったのは、全米に鉄道が開通する前、そして南北戦争が起こる前の時代です。移動手段は馬車、家には電気もない時代。村の人々が互いに助け合いながら暮らしている世界でした。両親のいないトムも、伯母に育てられ、親戚や村の人々という大きなコミュニティの中で見守られていました。

いたずらっ子で頑固なトムですが、実は強い責任感と優しさを秘めています。物語の後半、彼は精神的な成長を遂げます。そのきっかけの一つは、自分たちの失踪を村中の大人が懸命に探し、いつもは厳しい伯母が自分の不在を心から嘆き悲しんでいる姿を知ったことでした。

自由奔放で自分勝手に過ごしているように見えたトムも、実は大人たちに見守られながら暮らしているのだと、無意識のうちに気づいたのです。

 

「見守られている」という安心感

ここに、トムが踏み止まれた理由が潜んでいます。 一見無鉄砲で乱暴な行動をしても、トムは決して相手の命を奪うようなことはせず、また危険な遊びをしても最後には必ず家に帰ってきます。それは彼のこころの奥底に、「自分は誰かに守られている」という社会とのつながりがあったからではないでしょうか。

社会とのつながりをしっかりと感じているからこそ、ギリギリのところで無茶をしても、自分自身の個性を発揮し、成長することができたのです。

 

大丈夫かもしれない、という支え

これはカウンセリングの現場にも通じます。 相談に来られる方のなかには、「自分らしく振る舞うこと」や「自分の個性を発揮すること」に強い不安やためらいを抱いている方が少なくありません。そこには、一人で荒野に立っているような、孤立無援の恐れが隠れていることがあります。

しかし、カウンセリングを通じて「誰かが自分の成長を見守ってくれている」「自分は社会や他人とつながっている」という確信が育ってくると、人はようやく安心して「自分らしさ」を試行錯誤できるようになります。

子育てにおいても同様です。子どもは、自分としっかり繋がってくれる大人がいて、温かく見守られていると感じる環境があって初めて、自分らしく振舞えるようになります。ときには危なっかしい行動をしながらも、守られているという信頼感があるからこそ、一線を越えずに踏みとどまり、成長を遂げることが出来るのです。

人は自らの足で一歩ずつ成長への階段を登っていく。そのために大切なものは何かと考えさせられる作品です。

 

プロフィール
この記事を書いた人
三輪 幸二朗

Mitoce 新大阪カウンセリング代表
臨床心理士

Mitoce 新大阪カウンセリング
電話番号:06-6829-6856
メールアドレス:office@mitoce.net

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