ルイス・キャロル 1865年『不思議の国のアリス』(河合祥一郎 訳/角川文庫 2010年)
7歳の少女アリスが、懐中時計を持って走り去るウサギを追いかけ、深い穴に落ちた先で不思議な世界を旅する物語。ディズニーアニメでも広く知られる本作の作者はルイス・キャロルです。彼については様々な逸話がありますが、今回は作者分析ではなく、作品そのものが持つ「言葉」の力に焦点を当ててみたいと思います。
思考を揺さぶる「言葉遊び」
アリスが次々と遭遇する奇妙な出来事は、この物語の最大の魅力です。「私を飲んで」と書かれた液体を飲むと体が巨大化し、キノコを食べれば伸び縮みする。帽子屋やウサギとの風変わりなお茶会、ハートの女王とのクリケット大会など、印象的なシーンが次々と展開されます。
もう一つの大きな特徴は、全編に散りばめられた「言葉遊び」です。冗談とも本気ともつかないセリフの応酬は、大人が理屈をこねて怒ったり、熱心に語ったりする姿を、子どもの視点から「なんだか馬鹿々々しいもの」として揶揄しているようにも見えます。そのナンセンスさが、キャラクターたちの強烈な個性を形作っています。
そんな登場人物の中で、特に興味深いのがチェシャ―ネコの存在です。
チェシャ―ネコが突きつける!
チェシャ―ネコは、姿を消したり現したりしながら、口元に三日月のような笑みを浮かべる不思議な猫です。彼は物語の住人でありながら、どこか冷めた視点を持ち、混乱するアリスに対しても突き放したような態度をとります。そのつかみどころのなさは、彼の自由で自立した性格をそのまま表しているようです。
道に迷ったアリスと猫のやり取りを引用してみましょう。
「どうか、教えていただけないでしょうか、ここからどちらのほうへ行ったらよろしいでしょう?」
「それは君がどこに行きたいかによるね。」ネコは言いました。「どこでもいいのですが――」アリスは言いました。
「じゃあ、どっちに行ったっていい」とネコ。
「――どこかに着きさえすれば」と、アリスは説明としてつけ加えました。
「そりゃあ、着くだろうよ」とネコ。「そこまで歩いていけばね」(同書 p.86より)
ふざけているようですが、これは非常に本質的な対話です。「行きたいところへ進めば、そこにたどり着く」という、当たり前ながらも大切な真理を突いています。
カウンセリングの現場でも、これと似た問いをいただくことがあります。「私はどうしたらいいでしょうか?」「この先、どうなってしまうのでしょうか?」
もしチェシャ―ネコがカウンセラーだったら、こう答えるかもしれません。
「あなたがどうしたいかによるね」
「どうしたらいいか分かりません」と質問。
「なら、どっちへ進んでも同じ」
「でも、どこかにたどり着きたいんです」と言えば、
「歩き続けさえすれば、必ずどこかには着くよ」
つまり、自分がどうしたいかは他人に決めてもらうものではなく、また目的地は誰かに連れて行ってもらう場所ではないということです。
自分で決めた方向へ一歩を踏み出し、歩き続けることでしか、納得のいく場所にはたどり着けません。
これはあまりにシンプルな理屈ですが、現実に悩みのなかにいると、見失いやすい視点でもあります。「どうしたいか分からない」と悩むこと自体が、人生の迷路の本質なのかもしれません。
視点を変えて、世界を捉え直す
自分にとって深刻な悩みも、チェシャ―ネコのような「斜めからの視点」で眺めてみると、案外「悩むまでもないこと」に見えてくる場合があります。物事を全く違う観点から捉え直してみることで、閉ざされていた世界に新しい道が開けるのです。
奇想天外なアリスの物語は、コミカルでありながら、私たちの固定観念を揺さぶる深い洞察に満ちています。こうした児童文学の世界に触れ、自由な思考を取り戻すことは、大人になってからの人生をより豊かにする手助けとなるでしょう。


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